静けさと彩りと

*そふぃーの森*

五百円

1995年(平成7年)1月17日 火曜日
5:46 阪神・淡路大震災

その頃のわたしは、経済的にも精神的にも
全く余裕がありませんでした。
余裕どころか すさんでいると言った方が
正確かもしれません。

かすかな揺れを感じたのに、
テレビの報道を観て とても驚いたのに、
その日の予定をこなすことしか
考えられませんでした。
演奏の本番がある特別な日だった事もあり
震源に近い地域に住んで居るかもしれない
知人の心配より
演奏を……と 集中するのに必死でした。

数日後、職場で1人五百円ずつ募金する事となりました。
五百円以上募金していた方も勿論います。
募金をする気はない、と言った方もいました。

ここで五百円を出してしまったら わたしは
次のお給料日まで暮らせない……。

それを正直に上司に伝え、募金の五百円を
数日待っていただけないかと話しました。
はっきりと罵る先輩もいましたが、
察してくださる方が多く
募金は出来る人が出来る時にする事であり
また 募金だけが全てではないのだから
今は気にしなくていいよ と言われました。

被害のない安全な地域で、
様々な考えの人が居るという事も知り
考えさせられた心の痛む記憶です。



2011年(平成23年)3月11日 金曜日
14:46 東日本大震災

この頃のわたしは、生活がかなり安定し
経済的にも精神的にも、以前よりはだいぶ
落ち着きつつありました。
お店から商品が消えても、数日待てばまた
流通するだろうと思う余裕もあり、
慌てず残った商品があれば購入しようと
近くのお店をまわってみました。

阪神・淡路大震災の時に 何もしなかった
という記憶がよみがえり、
現在より過去に対する心の痛みが
無意識に自分を責めていたのだと思います。

家族の用事を待ちながら たまたま入った
コンビニエンスストアでの事。
小学生くらいの女の子を連れた母親が
レジで五百円の商品券が使えないかと
店員と話しているようでした。
使えないと言われているように見えたのに
パニック気味の店内は人であふれ わたしは
店の外に押し出されてしまいました。

また五百円……
商品券とわたしの五百円を
何故すぐに交換しなかったのだろう……

被災地ではない混乱した地域で
すべき事をしそびれた心の痛む記憶です。


二度も機会を逃した 現在のわたしは
緊迫していない落ち着いた状況で
募金をすることにしています。

災害関連、楽しませて頂いたお祭り行事など
募金や寄付金の箱を見つけたら
千円札を入れることに決めています。

突然 街頭募金にお札を入れると
同行者も、入れられた側も一瞬
驚いた表情になることが多いです。

はたから見たら 募金や寄付金だけれど
わたしにとっては過去に逃し続けた分であり
自分の心の痛みを消すための千円でもあり
純粋な善意ではないかもしれません。

それでも、
出来る人が出来る時にする事 として
自分にとって無理のない千円という金額を
これからも持ち歩くつもりです。


sophie